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最高裁判所第一小法廷 昭和34年(オ)779号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人弁護士吉田政之助の上告理由第一点について。

しかし、時効による権利の取得の有無を考察するにあたつては、単に当事者間のみならず、第三者に対する関係も同時に考慮しなければならぬのであつて、この関係においては、結局当該不動産についていかなる時期に何人によつて登記がなされたかが問題となるのである。されば、時効が完成しても、その登記がなければ、その後に登記を経由した第三者に対しては時効による権利の取得を対抗しえないのに反し、第三者のなした登記後に時効が完成した場合においては、その第三者に対しては、登記を経由しなくとも時効取得をもつてこれに対抗しうることとなると解すべきことは、当裁判所の判例とするところであつて(昭和三二年(オ)三四四号同三五年七月二七日当法廷判決、判例集一四巻一〇号一八七一頁以下)、所論引用の判例も結局その趣旨において前記判例と異ることないものと解すべきである。

そして、原判決の確定した事実関係によれば、本件山林は、もと藤沢部落の所有するところであつたが、被上告人(控訴人、原告)の被承継人第一次葉山神社は明治三八年五月二九日より大正四年五月二九日まで一〇年間これを所有の意思をもつて平穏、公然、善意、無過失に占有を継続し、ために大正四年五月二九日に取得時効が完成したもののその登記を経ることなく経過するうち、同一五年八月二六日上告人(被控訴人、被告)が藤沢部落より右山林の寄附をうけてその旨の登記を経由するに至つたところ、第一次葉山神社はさらに右登記の日より昭和一一年八月二六日まで一〇年間引き続き所有の意思をもつて平穏、公然、善意、無過失に占有を継続したというのである。されば、前記第一次葉山神社は右時効による所有権の取得をその旨の登記を経由することなくても上告人に対抗することができること前示当裁判所の判例に照し明らかであり、従つて、右第一次葉山神社の包括承継人である被上告人もまた同一の主張をなしうること論を待たない。原判決は、上告人の前記登記によつて時効が中断されるものと判示したのは失当たるを免れないが、結局その結論において正当であるから、所論は採ることができない。

同第二点、第三点について。

所論は、原判決の時効中断の判示を非難するものであつて、結局原判決に影響を及ぼさない法令違背の主張に帰するものであること論旨第一点について述べたところである。それ故、所論は、結局採ることができない。

同第四点について。

しかし、控訴人(被上告人、原告)の取得時効の主張についての第一次葉山神社が所有の意思をもつて平穏、公然、善意、無過失に本件山林の占有を継続した旨の原判決の事実認定は、挙示の証拠関係に照し肯認できないことはなく、被上告人が本件山林の公租公課を負担しなかつたこと、上告人が杉立木三本を伐採したこと、上告人が本件山林の監視見回りを続けそのため費用を年々支出したこと等が本件被上告人主張の占有に影響を及ぼさない旨の原判示もすべて正当として是認することができる。所論は、結局原審が適法になした証拠の取捨、判断ないし事実認定を非難し、これを前提として所論の違法あるがごとく主張するに帰し、採ることができない。

同第五点について。

しかし、被上告人は、結局上告人と第一次葉山神社とを当事者とする時効による権利変動を主張するものであるところ、原判決が適法に確定したところによれば、第一次葉山神社と第二次葉山神社は人格の同一性を保持していたものであり、被上告人は、第二次葉山神社の包括承継人であるというのであるから、上告人と被上告人との間に第三者の関係、従つて、登記問題の起きる余地はない。引用の判例は本件に適切でない。されば、所論は採ることができない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官の全員一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斉藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 高木常七)

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